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いつものように、川っぺりで昼飯を喰っている。
その前を、水色の作業服を着たおじさんが
通り過ぎて行く。
しばらくすると、再び同じ方角から
同じおじさんがやって来る。
そして、また目の前を通り過ぎる。
またしばらくすると、同じ方角からおじさんが歩いて来る。
ちょっと頭がおかしくなったのかな、俺。
その前を、水色の作業服を着たおじさんが
通り過ぎて行く。
しばらくすると、再び同じ方角から
同じおじさんがやって来る。
そして、また目の前を通り過ぎる。
またしばらくすると、同じ方角からおじさんが歩いて来る。
ちょっと頭がおかしくなったのかな、俺。
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自宅の最寄駅の階段に、新しいポスターが貼られた。
駅前のカラオケパブの宣伝ポスターだ。
その店は、雑居ビルの4階にあるのだが、ポスターには
こういう文句が書かれている。
「窓からホームが一望できます」
・・・・・・・・・ふーん、なるほど。って、え!?
ホームが一望?
確かにホームから見ると、丁度目の高さに店の窓がある。
これはすごい。
夜、仕事で疲れた身体をひきずり、エレベータに乗って
4階へ上がり、店へ入る。
促されて席につくと、テーブルにはおしぼりとマイクが
既に用意されている。
酒とつまみを注文し、おしぼりで全身を拭き終わる間もなく
おもむろにマイクを握り締め、唄い始める。
絶唱。一日の疲れをこゝで搾り出すかのように絶唱。
絶唱、絶唱、絶唱。
そして、ふと窓の外を見ると、
駅のホームに佇み電車を待つ人々の姿が。
それを見て思う。
「あゝ、彼らも頑張って(電車に)乗ろうとしているんだ。
俺もまた頑張らねば」
そして再び、マイクを握り締める・・・・・・・・・・・・
(※人物は架空です)
ちなみに我が家の玄関からは、富士山が一望できます(晴天時)。
駅前のカラオケパブの宣伝ポスターだ。
その店は、雑居ビルの4階にあるのだが、ポスターには
こういう文句が書かれている。
「窓からホームが一望できます」
・・・・・・・・・ふーん、なるほど。って、え!?
ホームが一望?
確かにホームから見ると、丁度目の高さに店の窓がある。
これはすごい。
夜、仕事で疲れた身体をひきずり、エレベータに乗って
4階へ上がり、店へ入る。
促されて席につくと、テーブルにはおしぼりとマイクが
既に用意されている。
酒とつまみを注文し、おしぼりで全身を拭き終わる間もなく
おもむろにマイクを握り締め、唄い始める。
絶唱。一日の疲れをこゝで搾り出すかのように絶唱。
絶唱、絶唱、絶唱。
そして、ふと窓の外を見ると、
駅のホームに佇み電車を待つ人々の姿が。
それを見て思う。
「あゝ、彼らも頑張って(電車に)乗ろうとしているんだ。
俺もまた頑張らねば」
そして再び、マイクを握り締める・・・・・・・・・・・・
(※人物は架空です)
ちなみに我が家の玄関からは、富士山が一望できます(晴天時)。
先週の水曜、伯父(親父の兄)が急死した。
その前から体調を崩し入院していた事は聞いており、
亡くなる直前の日曜にも弟達と見舞いに行き、元気な
顔で「そのうちゆっくり治して、よくなるさ」と
笑っていたのを見たばかりだった。
悲しいというよりも、突然すぎて実感が湧かない。
一昨日、昨日と通夜と葬儀を済ませ、今こうして
落ち着いた時でさえも、やはり実感が湧かない。
こう言うと誤解を招くかもしれないが、人の死自体は
あまり悲しいとは思わない。
それが年上の人ならばなおさらだ。
だって、それはごく普通のことだから。
生き物が死ぬことは、食べたり眠ったりするのと同じ、
生理行動の一つにすぎない。
人が食事を摂ったり眠ったりするのにいちいち驚かないのと
同じように、死ぬこと自体には何も異変を感じない。
なら、(特に親しい)人の死は、なぜ悲しいのだろう。
俺は、「糸が切れる」からだと思っていた。
「糸が切れる」というのは、「連絡が取れなくなる」
ということとほゞ同義だ。
今まで普通にコミュニケーションをとっていた人が、ある日
突然世界を違えてしまう。
死を「別世界へシフトする」と捉えるのはいかにも宗教的だが、
おそらく大多数の人はそう思いたがる。
死=存在の消滅とはなかなか考えられないし、実際の所は
今だに誰も断言できないのだから、こゝは各々の都合の良い
解釈でいいのかもしれない。
世界を違えたとしたら、どうしても消息が知りたくなる。
だが、その決定的な手段は何一つない。
その不安が、悲しみという形で表れるのではないか。
だから、死の別れは位置的な隔離とも似ていなくはない。
たゞ、死は位置的な隔離とは違って、その消息が仮に
わかったとしても、行き来することなど叶わないが。
人の死の姿を見て、思うこと。
「命は大切」だと、誰もが当たり前のように言うけれど、
たぶん、命ではなく「命が放つもの」が大切なんだろう。
作用と言ってもいい。
それは、「思い出」という形で端的に表れることもある。
故人を思う時、その人自身というよりも、その人が自身に
何をしてくれて、何をもたらしたか
(つまり、自身にどう作用したか)
がいろいろ思われてくる。
その作用を起こすのはもちろん、その人の命に他ならないが、
死というきっかけで再認識するのは、その命が至るところに
放った、さまざまなものの欠片たちなのだろう。
俺も、伯父が俺自身に放ってくれたさまざまのものを
思い出していた。
それすらも、俺がいつか死ねば消滅するだろう。
それでいいんだと思う。
そうして、全ては動いていく。
その前から体調を崩し入院していた事は聞いており、
亡くなる直前の日曜にも弟達と見舞いに行き、元気な
顔で「そのうちゆっくり治して、よくなるさ」と
笑っていたのを見たばかりだった。
悲しいというよりも、突然すぎて実感が湧かない。
一昨日、昨日と通夜と葬儀を済ませ、今こうして
落ち着いた時でさえも、やはり実感が湧かない。
こう言うと誤解を招くかもしれないが、人の死自体は
あまり悲しいとは思わない。
それが年上の人ならばなおさらだ。
だって、それはごく普通のことだから。
生き物が死ぬことは、食べたり眠ったりするのと同じ、
生理行動の一つにすぎない。
人が食事を摂ったり眠ったりするのにいちいち驚かないのと
同じように、死ぬこと自体には何も異変を感じない。
なら、(特に親しい)人の死は、なぜ悲しいのだろう。
俺は、「糸が切れる」からだと思っていた。
「糸が切れる」というのは、「連絡が取れなくなる」
ということとほゞ同義だ。
今まで普通にコミュニケーションをとっていた人が、ある日
突然世界を違えてしまう。
死を「別世界へシフトする」と捉えるのはいかにも宗教的だが、
おそらく大多数の人はそう思いたがる。
死=存在の消滅とはなかなか考えられないし、実際の所は
今だに誰も断言できないのだから、こゝは各々の都合の良い
解釈でいいのかもしれない。
世界を違えたとしたら、どうしても消息が知りたくなる。
だが、その決定的な手段は何一つない。
その不安が、悲しみという形で表れるのではないか。
だから、死の別れは位置的な隔離とも似ていなくはない。
たゞ、死は位置的な隔離とは違って、その消息が仮に
わかったとしても、行き来することなど叶わないが。
人の死の姿を見て、思うこと。
「命は大切」だと、誰もが当たり前のように言うけれど、
たぶん、命ではなく「命が放つもの」が大切なんだろう。
作用と言ってもいい。
それは、「思い出」という形で端的に表れることもある。
故人を思う時、その人自身というよりも、その人が自身に
何をしてくれて、何をもたらしたか
(つまり、自身にどう作用したか)
がいろいろ思われてくる。
その作用を起こすのはもちろん、その人の命に他ならないが、
死というきっかけで再認識するのは、その命が至るところに
放った、さまざまなものの欠片たちなのだろう。
俺も、伯父が俺自身に放ってくれたさまざまのものを
思い出していた。
それすらも、俺がいつか死ねば消滅するだろう。
それでいいんだと思う。
そうして、全ては動いていく。
先日、空を飛ぶ夢を観た。
34年間生きてきて、おそらくこれが初めて。
厳密に言えば、目覚めても覚えていられたのが初めて。
小学校の校庭のような場所に立っている。
傍に校舎のような建物が建っている。
周りには誰もいない。
じっと地面をにらみ続けていた後、おもむろに空を見上げて
「飛んでみるか」と何気なく思った直後、
空に浮かんでいた。
気がつくと、眼下に豆粒のようになった校舎と、
それを取り巻く街が見える。
空を飛べる自信など全くなかったが、
不思議と恐怖感も、墜ちる気も起こらなかった。
空に浮かんだまゝ、そこで目が覚めた。
------------------
先日、会社の近くで昼飯を喰っていたら、
女子高生の一団が近くの席に座っていて、
「CUBE」の話で盛り上がっていた。
「そうそう、箱から出られなくなっちゃうんだよね」
「でさー、最後ちぎれちゃうんだよねー」
(以上抜粋)
何だか、不思議な感じがした。
------------------
かじくん氏が「黒髪ショート」について何やら一旗
上げるらしいので、俺も陰ながら応援させていただきます。
------------------
「モーニング姿の安倍総理」ってまぎらわしい書き方だな全く。
------------------
今日、いろいろあってスーパーへ行った。
スーパーって楽しい。だって食品がいっぱいあるんだもの!(狂)
ハチミツの棚を見ていたら、明治屋の
「ローヤルゼリー配合ハチミツ」ていうのを見つけた。
ローヤルゼリーだからいいけど、「ローヤルジェリー」だったら
ちょっと買う気起きないよね。
------------------
ジェリーといえば。
こないだ、かじくん氏達と会った時に、
「ジェリー藤尾ってまだ生きてんの?」という
無責任な質問をしてしまった。
こゝでお詫びとともに、締めさせていただきます。
まだご存命のようです。
終わり。
------------------
あと、怖い話を(以下続く)
34年間生きてきて、おそらくこれが初めて。
厳密に言えば、目覚めても覚えていられたのが初めて。
小学校の校庭のような場所に立っている。
傍に校舎のような建物が建っている。
周りには誰もいない。
じっと地面をにらみ続けていた後、おもむろに空を見上げて
「飛んでみるか」と何気なく思った直後、
空に浮かんでいた。
気がつくと、眼下に豆粒のようになった校舎と、
それを取り巻く街が見える。
空を飛べる自信など全くなかったが、
不思議と恐怖感も、墜ちる気も起こらなかった。
空に浮かんだまゝ、そこで目が覚めた。
------------------
先日、会社の近くで昼飯を喰っていたら、
女子高生の一団が近くの席に座っていて、
「CUBE」の話で盛り上がっていた。
「そうそう、箱から出られなくなっちゃうんだよね」
「でさー、最後ちぎれちゃうんだよねー」
(以上抜粋)
何だか、不思議な感じがした。
------------------
かじくん氏が「黒髪ショート」について何やら一旗
上げるらしいので、俺も陰ながら応援させていただきます。
------------------
「モーニング姿の安倍総理」ってまぎらわしい書き方だな全く。
------------------
今日、いろいろあってスーパーへ行った。
スーパーって楽しい。だって食品がいっぱいあるんだもの!(狂)
ハチミツの棚を見ていたら、明治屋の
「ローヤルゼリー配合ハチミツ」ていうのを見つけた。
ローヤルゼリーだからいいけど、「ローヤルジェリー」だったら
ちょっと買う気起きないよね。
------------------
ジェリーといえば。
こないだ、かじくん氏達と会った時に、
「ジェリー藤尾ってまだ生きてんの?」という
無責任な質問をしてしまった。
こゝでお詫びとともに、締めさせていただきます。
まだご存命のようです。
終わり。
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佐伯驚天堂
HP:
性別:
男性
自己紹介:
1972年:生誕
1986年:「迎えにきてくれない?」で
演歌デビュー
1989年:「マヨネーズが嫌いなんて言わなければよかった」で
文壇デビュー
1995年:「半クラッチ」で
公道デビュー
1997年:「探り箸」で
食卓デビュー
1999年:「0.3mm」で
シャーペンデビュー
2002年:石を買う
2004年:石を売る
2007年:現在に至る
1986年:「迎えにきてくれない?」で
演歌デビュー
1989年:「マヨネーズが嫌いなんて言わなければよかった」で
文壇デビュー
1995年:「半クラッチ」で
公道デビュー
1997年:「探り箸」で
食卓デビュー
1999年:「0.3mm」で
シャーペンデビュー
2002年:石を買う
2004年:石を売る
2007年:現在に至る
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