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先週の水曜、伯父(親父の兄)が急死した。

その前から体調を崩し入院していた事は聞いており、
亡くなる直前の日曜にも弟達と見舞いに行き、元気な
顔で「そのうちゆっくり治して、よくなるさ」と
笑っていたのを見たばかりだった。

悲しいというよりも、突然すぎて実感が湧かない。

一昨日、昨日と通夜と葬儀を済ませ、今こうして
落ち着いた時でさえも、やはり実感が湧かない。

こう言うと誤解を招くかもしれないが、人の死自体は
あまり悲しいとは思わない。
それが年上の人ならばなおさらだ。
だって、それはごく普通のことだから。

生き物が死ぬことは、食べたり眠ったりするのと同じ、
生理行動の一つにすぎない。
人が食事を摂ったり眠ったりするのにいちいち驚かないのと
同じように、死ぬこと自体には何も異変を感じない。

なら、(特に親しい)人の死は、なぜ悲しいのだろう。
俺は、「糸が切れる」からだと思っていた。
「糸が切れる」というのは、「連絡が取れなくなる」
ということとほゞ同義だ。
今まで普通にコミュニケーションをとっていた人が、ある日
突然世界を違えてしまう。
死を「別世界へシフトする」と捉えるのはいかにも宗教的だが、
おそらく大多数の人はそう思いたがる。
死=存在の消滅とはなかなか考えられないし、実際の所は
今だに誰も断言できないのだから、こゝは各々の都合の良い
解釈でいいのかもしれない。
世界を違えたとしたら、どうしても消息が知りたくなる。
だが、その決定的な手段は何一つない。
その不安が、悲しみという形で表れるのではないか。
だから、死の別れは位置的な隔離とも似ていなくはない。
たゞ、死は位置的な隔離とは違って、その消息が仮に
わかったとしても、行き来することなど叶わないが。


人の死の姿を見て、思うこと。
「命は大切」だと、誰もが当たり前のように言うけれど、
たぶん、命ではなく「命が放つもの」が大切なんだろう。
作用と言ってもいい。
それは、「思い出」という形で端的に表れることもある。
故人を思う時、その人自身というよりも、その人が自身に
何をしてくれて、何をもたらしたか
(つまり、自身にどう作用したか)
がいろいろ思われてくる。
その作用を起こすのはもちろん、その人の命に他ならないが、
死というきっかけで再認識するのは、その命が至るところに
放った、さまざまなものの欠片たちなのだろう。


俺も、伯父が俺自身に放ってくれたさまざまのものを
思い出していた。
それすらも、俺がいつか死ねば消滅するだろう。
それでいいんだと思う。


そうして、全ては動いていく。


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無題
近しい人や長年一緒に暮らしたペットの死は悲しいんじゃなくて寂しいんだと思ってる。“すごく”寂しいこと。もう触れられない・触れてもらえない、もう話せない・声が聞けない・会話ができない、互いに影響しあうことが永遠に無い、反応が無い、相談できない、頼れない・頼られない、キリが無いけどそうゆうこと全てが寂しい。その人と自分との諸々は決定的に途絶え、未来は消滅し、可能性がゼロになる。でも人は時が経ちさえすればどんな寂しさにも慣れるんだけどね。それを信じられず(時の流れに身を委ねられず)いつまでも死を嘆き悲しんでいる人は、その人自身が悲しい人だと思う。
2007/01/31(Wed)16:23:32 編集
無題
>茜様
現在と未来にしか生きられない俺達にとっては、
「過去しか共有できない」死者とは繋がりようがない。
過去に放ってくれたものを忘れずにいるのは大切かも
しれないけれど、やはり死者と生者ははっきり
区別する必要があるのだと思います。

人はまた、過去に固執するだけでは生きては
いけないのだし。


佐伯驚天堂 2007/02/01(Thu)07:47:30 編集
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プロフィール
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佐伯驚天堂
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性別:
男性
自己紹介:
1972年:生誕
1986年:「迎えにきてくれない?」で
演歌デビュー
1989年:「マヨネーズが嫌いなんて言わなければよかった」で
文壇デビュー
1995年:「半クラッチ」で
公道デビュー
1997年:「探り箸」で
食卓デビュー
1999年:「0.3mm」で
シャーペンデビュー
2002年:石を買う
2004年:石を売る
2007年:現在に至る
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