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この前の日曜日(18日)は、久しぶりに趣味に使った。
かじくん氏と久々の二人旅。鹿島鉄道に乗りに行った。
鹿島鉄道は茨城県の石岡市と鉾田市を結ぶローカル民鉄で、
利用客の減少等を理由に、今月いっぱいで廃止が決定している。
俺は以前にも乗ったことはあるが、消滅するうちにもう一度
乗っておこうとは思っていた。そして今回、それが実現した。
朝8時にTX三郷中央駅でかじくん氏と待ち合わせ。
そのまゝ常磐道を北上、桜土浦ICで降車してR354を霞ヶ浦沿いに
東の終点、鉾田駅へ向かう。10時少し前に駅に到着。
鉾田駅の利用者用無料駐車場に車を停め、駅構内へ入ると
とても地方の小駅とは思えないほどの賑わいぶり。
地元の利用客も引くほどの鉄ちゃんの群れ。明らかに県外からの
アベックや家族連れの客。彼らを相手にした記念グッズの販売店。
たい焼きが名物にもなっている構内の立ち喰いそば屋も、長蛇の
列ができている。
みんなどこから情報を仕入れるのだろうか。それとも潜在的な
人気はあったということか。
1,100円の土休日限定フリー切符を買い、停車中の10:04発石岡行き
列車(KR-500)に乗り込む。
列車は途中で何度か交換を行いながら、単線の線路をゆっくり走っていく。
まずは1時間弱揺られながら、終点の石岡まで完乗。
隣には折り返しになるキハ714が待機していた。
今回、目当ての車輌の一つ。
JRと兼用している石岡駅構内の立ち喰いそば屋で昼食を済ませ、
折り返しの11:32発鉾田行きに再度乗り込む。
今度は、撮影ポイントを狙って適当に下車することにした。
2両編成の、普段は1両でも十分な車内は、相変わらず三脚と
カメラバッグを提げた鉄ちゃん達でごった返している。
車内には鹿島鉄道の支援グッズの広告も見える。
俺のように、生活圏の鉄道が消えるなどという事態はまず
起こりえないような立場にいる人間にとっては、所詮は
客観的に見ることしかできない。
どこかで路線が1つ消えると聞けば、
「あー、もったいないから乗りに行ってこよう」
なんて大して考えもせずに出かけていた。
鉄道が消える、という事態が地元の人々にとってどれだけ
打撃を与えるものであるかを少しづつ考えるようになったのも
恥ずかしい話だが、こゝ最近かもしれない。
確かにこの鹿島鉄道も、後継手段として路線バスの設置が
決まってはいるが、今までの便利さが100%引き継がれたかと
言えば、決してそうではないだろう。
どんなに小さく細々と走っていても、その存在はやはり
代えがたいものに違いない。
(実際に鉾田駅では、鹿島鉄道の廃止を「休止」に変えて
将来復活させようという署名活動も行なっていた)
だからといって、その「イベント」の度に群がる彼らを
批判する気など毛頭ないし、する理由すらない。
彼らの活動が、こういう地方のローカル線をどこかで活性化させる
一因になっていることもまた、確かなのだから。
俺達は霞ヶ浦湖畔の、浜で下車した。
この駅近くの国道の跨線橋が、ポイントの一つになっているからだ。
片面ホームにログハウス調の待合室だけの、質素な駅。
線路側の先にすぐ霞ヶ浦が、さらに筑波山も見渡せる。
駅名標か観光案内か、丸ごと外されていた。
心ない鉄ちゃんが持ち去ったのだろうか。
こんな時代だから、廃線の翌日にはもう、レールなんかが
パクられたりしてしまうのだろうか。
近くを走るR355の跨線橋に着くと、既にもう三脚の林になっていた。
畑の先の切り通しから、隣の玉造町駅まで一直線にレールが
伸びている。みんな望遠でこゝを撮りに来ているのだ。
13:00浜発の下り鉾田行き、13:03玉造町発の上り石岡行きを
立て続けに撮って、俺達は玉造町駅まで歩いて移動した。
玉造町駅構内。いい感じにレールが伸びている。
14:07発の下りに乗って、28分に鉾田へ戻ってきた。
午後になっても相変わらず構内は混んでいた。改札で地元産の
野菜を配っていたので頂き、何分か待って名物のたい焼きも
ゲットして、車に乗り込んだ。
帰りに、少しだけ寄り道をしてみた。
鉾田から2つ隣の巴川駅。こゝもホームと待合室だけの駅だが、
隣の借宿前駅までの風情が大変よろしい。
「仮面ライダー響鬼」のロケにも使われたこともある。
巴川駅の標識。表と裏。
それ以外に何があるというわけではない。
少なくとも、一般的な観光には全く向かないかもしれない。
でも俺は、こういうものが好きでよかった、と時々思うことがある。
昔が良くて今がダメとか、だから古いものをずっと残していろなんて
主張する気もない。
全ては変わっていく。俺に理由がわからなくても、生まれたり
消えたりしていくものはいくらでもある。
消えていくものは仕方がない。消えていくままにしておくしかない。
たゞ、そのものは消えても、それを何かの形で受け取った俺自身が
消えるまで、それは残ると考えればいい。
帰りは国道をのんびりと南下して帰途に着いた。
再び三郷中央駅でかじくん氏と散会。お疲れ様でした。
そして、このような機会を与えてくれた妻子にも感謝します。
《おまけ》
石岡駅前で発見した、(おそらく)この冬最後の缶ポタ。
鉾田駅前に立っていた、ホテルの看板。
巴川駅でたくさん見た花、というか草。
名前をご存知の方はコメントください。
かじくん氏と久々の二人旅。鹿島鉄道に乗りに行った。
鹿島鉄道は茨城県の石岡市と鉾田市を結ぶローカル民鉄で、
利用客の減少等を理由に、今月いっぱいで廃止が決定している。
俺は以前にも乗ったことはあるが、消滅するうちにもう一度
乗っておこうとは思っていた。そして今回、それが実現した。
朝8時にTX三郷中央駅でかじくん氏と待ち合わせ。
そのまゝ常磐道を北上、桜土浦ICで降車してR354を霞ヶ浦沿いに
東の終点、鉾田駅へ向かう。10時少し前に駅に到着。
鉾田駅の利用者用無料駐車場に車を停め、駅構内へ入ると
とても地方の小駅とは思えないほどの賑わいぶり。
地元の利用客も引くほどの鉄ちゃんの群れ。明らかに県外からの
アベックや家族連れの客。彼らを相手にした記念グッズの販売店。
たい焼きが名物にもなっている構内の立ち喰いそば屋も、長蛇の
列ができている。
みんなどこから情報を仕入れるのだろうか。それとも潜在的な
人気はあったということか。
1,100円の土休日限定フリー切符を買い、停車中の10:04発石岡行き
列車(KR-500)に乗り込む。
列車は途中で何度か交換を行いながら、単線の線路をゆっくり走っていく。
まずは1時間弱揺られながら、終点の石岡まで完乗。
隣には折り返しになるキハ714が待機していた。
今回、目当ての車輌の一つ。
JRと兼用している石岡駅構内の立ち喰いそば屋で昼食を済ませ、
折り返しの11:32発鉾田行きに再度乗り込む。
今度は、撮影ポイントを狙って適当に下車することにした。
2両編成の、普段は1両でも十分な車内は、相変わらず三脚と
カメラバッグを提げた鉄ちゃん達でごった返している。
車内には鹿島鉄道の支援グッズの広告も見える。
俺のように、生活圏の鉄道が消えるなどという事態はまず
起こりえないような立場にいる人間にとっては、所詮は
客観的に見ることしかできない。
どこかで路線が1つ消えると聞けば、
「あー、もったいないから乗りに行ってこよう」
なんて大して考えもせずに出かけていた。
鉄道が消える、という事態が地元の人々にとってどれだけ
打撃を与えるものであるかを少しづつ考えるようになったのも
恥ずかしい話だが、こゝ最近かもしれない。
確かにこの鹿島鉄道も、後継手段として路線バスの設置が
決まってはいるが、今までの便利さが100%引き継がれたかと
言えば、決してそうではないだろう。
どんなに小さく細々と走っていても、その存在はやはり
代えがたいものに違いない。
(実際に鉾田駅では、鹿島鉄道の廃止を「休止」に変えて
将来復活させようという署名活動も行なっていた)
だからといって、その「イベント」の度に群がる彼らを
批判する気など毛頭ないし、する理由すらない。
彼らの活動が、こういう地方のローカル線をどこかで活性化させる
一因になっていることもまた、確かなのだから。
俺達は霞ヶ浦湖畔の、浜で下車した。
この駅近くの国道の跨線橋が、ポイントの一つになっているからだ。
片面ホームにログハウス調の待合室だけの、質素な駅。
線路側の先にすぐ霞ヶ浦が、さらに筑波山も見渡せる。
駅名標か観光案内か、丸ごと外されていた。
心ない鉄ちゃんが持ち去ったのだろうか。
こんな時代だから、廃線の翌日にはもう、レールなんかが
パクられたりしてしまうのだろうか。
近くを走るR355の跨線橋に着くと、既にもう三脚の林になっていた。
畑の先の切り通しから、隣の玉造町駅まで一直線にレールが
伸びている。みんな望遠でこゝを撮りに来ているのだ。
13:00浜発の下り鉾田行き、13:03玉造町発の上り石岡行きを
立て続けに撮って、俺達は玉造町駅まで歩いて移動した。
玉造町駅構内。いい感じにレールが伸びている。
14:07発の下りに乗って、28分に鉾田へ戻ってきた。
午後になっても相変わらず構内は混んでいた。改札で地元産の
野菜を配っていたので頂き、何分か待って名物のたい焼きも
ゲットして、車に乗り込んだ。
帰りに、少しだけ寄り道をしてみた。
鉾田から2つ隣の巴川駅。こゝもホームと待合室だけの駅だが、
隣の借宿前駅までの風情が大変よろしい。
「仮面ライダー響鬼」のロケにも使われたこともある。
巴川駅の標識。表と裏。
それ以外に何があるというわけではない。
少なくとも、一般的な観光には全く向かないかもしれない。
でも俺は、こういうものが好きでよかった、と時々思うことがある。
昔が良くて今がダメとか、だから古いものをずっと残していろなんて
主張する気もない。
全ては変わっていく。俺に理由がわからなくても、生まれたり
消えたりしていくものはいくらでもある。
消えていくものは仕方がない。消えていくままにしておくしかない。
たゞ、そのものは消えても、それを何かの形で受け取った俺自身が
消えるまで、それは残ると考えればいい。
帰りは国道をのんびりと南下して帰途に着いた。
再び三郷中央駅でかじくん氏と散会。お疲れ様でした。
そして、このような機会を与えてくれた妻子にも感謝します。
《おまけ》
石岡駅前で発見した、(おそらく)この冬最後の缶ポタ。
鉾田駅前に立っていた、ホテルの看板。
巴川駅でたくさん見た花、というか草。
名前をご存知の方はコメントください。
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ちょっと似ているので、入れ換えてみた。
「Jリーグ 大和撫子カップ」
「♪チップスター、撫子~」
「ゲタ男さん、この間のお見合い相手の方、どうでしたの?」
「いやぁ、まさにヤマザキナビスコを絵に描いたような人で
とても気にいりましたよ、叔母さん」
意味通じる通じる。大丈夫。
「Jリーグ 大和撫子カップ」
「♪チップスター、撫子~」
「ゲタ男さん、この間のお見合い相手の方、どうでしたの?」
「いやぁ、まさにヤマザキナビスコを絵に描いたような人で
とても気にいりましたよ、叔母さん」
意味通じる通じる。大丈夫。
勤めからの帰りは、だいたい一つ隣の駅から歩く事にしている。
内勤の仕事に変わって、歩く機会が減った事も理由の一つだが、
たゞ単純に歩くのが好きだというのが一番だ。
駅を降りて、高架沿いの道をしばらく進み、ショッピングモールの
横を過ぎて住宅街へ抜けていく。
自宅のマンションが目の前になる駐車場を突っ切る時に、今まで
ビルで遮られていた空が一気に広がりを見せる。
雲一つなく、首都圏にしては上出来の星空も良いのだが、ちぎれたような
雲が所々に浮かんで、月明かりに映えているのもまたきれいだ。
子供の頃は、「雲は夜には出ない」と何となく思い込んでいた。
夜=闇のイメージが強かったのだろうか、夜空には月と点のように
瞬く星しかないものだと思っていた。
初めて雲に覆われた夜空を意識したのは、中学生になって、夜の帰宅を
経験するようになってからだ。
薄い月明かりと、地上の光に照らされた雲海を見た俺は、何とも言えない
衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。
美しいわけではない。だがとても印象に残る光景。
それも珍しいものではない、夜の曇り空。
その時の俺は飽きることなく、ずっと空を見つめ続けていた。
今も時々、帰り道の途中でじっと空を見ることがある。
それだけで一日の疲れが少しだけ、ほぐれる気がする。
「癒し」なんてものではない。家族の笑顔と同じようなものだ。
いつでも当たり前に待っていてくれるもの。
でもそれが「当たり前」と思えることが、幸せだと思えるもの。
なにも起こらなくてもいい。そんな帰り道。
最寄り駅の自販機にあるコーヒーの説明書き。
「匂いがすごい」でもよかったかもしれない。
(下線筆者)
内勤の仕事に変わって、歩く機会が減った事も理由の一つだが、
たゞ単純に歩くのが好きだというのが一番だ。
駅を降りて、高架沿いの道をしばらく進み、ショッピングモールの
横を過ぎて住宅街へ抜けていく。
自宅のマンションが目の前になる駐車場を突っ切る時に、今まで
ビルで遮られていた空が一気に広がりを見せる。
雲一つなく、首都圏にしては上出来の星空も良いのだが、ちぎれたような
雲が所々に浮かんで、月明かりに映えているのもまたきれいだ。
子供の頃は、「雲は夜には出ない」と何となく思い込んでいた。
夜=闇のイメージが強かったのだろうか、夜空には月と点のように
瞬く星しかないものだと思っていた。
初めて雲に覆われた夜空を意識したのは、中学生になって、夜の帰宅を
経験するようになってからだ。
薄い月明かりと、地上の光に照らされた雲海を見た俺は、何とも言えない
衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。
美しいわけではない。だがとても印象に残る光景。
それも珍しいものではない、夜の曇り空。
その時の俺は飽きることなく、ずっと空を見つめ続けていた。
今も時々、帰り道の途中でじっと空を見ることがある。
それだけで一日の疲れが少しだけ、ほぐれる気がする。
「癒し」なんてものではない。家族の笑顔と同じようなものだ。
いつでも当たり前に待っていてくれるもの。
でもそれが「当たり前」と思えることが、幸せだと思えるもの。
なにも起こらなくてもいい。そんな帰り道。
最寄り駅の自販機にあるコーヒーの説明書き。
「匂いがすごい」でもよかったかもしれない。
(下線筆者)
ハドソンの「てくてくエンジェル」が「てくてくエンジェルPocket」として、
DSとリンクさせて再登場していたのはとっくに知っていたが、俺自身が
先代の「てくジェル」を持っていたのはすっかり忘れていた。
内勤の仕事になってから、明らかに歩く機会が減った事は自覚していた。
その分、朝晩の通勤時に積極的に歩くように心がけている。
スポーツ全般に対して、観るのもするのもそれほど気持ちが起きない俺だが、
昔から「歩く」という行為は苦にならなかった。
自身のスピードで動けたり、自身のペースで移り変わる景色を楽しむ
ことができるからだろうか。それが今の「街歩き」好きに通じている気がする。
で、久しぶりに再起動させて、装着して歩いてみた。
↓結果です(3/13)
まぁ、こんなもんですよ。
DSとリンクさせて再登場していたのはとっくに知っていたが、俺自身が
先代の「てくジェル」を持っていたのはすっかり忘れていた。
内勤の仕事になってから、明らかに歩く機会が減った事は自覚していた。
その分、朝晩の通勤時に積極的に歩くように心がけている。
スポーツ全般に対して、観るのもするのもそれほど気持ちが起きない俺だが、
昔から「歩く」という行為は苦にならなかった。
自身のスピードで動けたり、自身のペースで移り変わる景色を楽しむ
ことができるからだろうか。それが今の「街歩き」好きに通じている気がする。
で、久しぶりに再起動させて、装着して歩いてみた。
↓結果です(3/13)
まぁ、こんなもんですよ。
「たん」を付けたら
ちょっと面白い言葉
マングローブたん
小野妹子たん
二重駐車たん
スラストベアリングの摩耗損傷たん
ちょっと面白い言葉
マングローブたん
小野妹子たん
二重駐車たん
スラストベアリングの摩耗損傷たん
鈴木ヒロミツ氏が肝細胞ガンのため、逝去されました。
彼がいなかったら、僕は「パイオツ」という言葉を
知らずに、今日まで生きてきたかもしれません。
ご冥福をお祈りいたします。
彼がいなかったら、僕は「パイオツ」という言葉を
知らずに、今日まで生きてきたかもしれません。
ご冥福をお祈りいたします。
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プロフィール
HN:
佐伯驚天堂
HP:
性別:
男性
自己紹介:
1972年:生誕
1986年:「迎えにきてくれない?」で
演歌デビュー
1989年:「マヨネーズが嫌いなんて言わなければよかった」で
文壇デビュー
1995年:「半クラッチ」で
公道デビュー
1997年:「探り箸」で
食卓デビュー
1999年:「0.3mm」で
シャーペンデビュー
2002年:石を買う
2004年:石を売る
2007年:現在に至る
1986年:「迎えにきてくれない?」で
演歌デビュー
1989年:「マヨネーズが嫌いなんて言わなければよかった」で
文壇デビュー
1995年:「半クラッチ」で
公道デビュー
1997年:「探り箸」で
食卓デビュー
1999年:「0.3mm」で
シャーペンデビュー
2002年:石を買う
2004年:石を売る
2007年:現在に至る
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